病院検索「医療ナビ.com」
聖学院大学
人間福祉学部教授
医学博士 松村豪一
ホスピスとの出会い
更新日 2007/05/01
ホスピスにおける人格的医療
更新日 2007/06/07
第3回
ホスピスのルーツと現状および実体験から
更新日 2007/07/13
マザー・テレサが取り組んだホスピス、ホスピス誕生の理由と現状
更新日 2007/08/24
ガンに冒された友人の闘いぶり
更新日 2007/09/14
ホスピスのこれから
更新日 2008/02/01
聖学院大学人間福祉学部教授で医学博士の松村豪一先生による連載コラム開始!
「ホスピス」をテーマに全6回連載でお送りします。
第3回目はホスピスのルーツを松村先生の体験と共にお届けします。
第3回 ホスピスのルーツと現状および実体験から
更新日 2007/07/13
高校教師の守利靭彦氏の調査によれば、古代ローマには、慈善目的の収容施設、即ち、地域の貧しい老人や孤児の世話をする“ほどこしの家”がありました。古代からあったこの“ほどこしの家”が“ホスピス”のルーツのようです。
中世ヨーロッパでは、空腹を抱え衰弱した貧しい人々や、病気の旅人および巡礼者の介護や看護を実施した修道尼院や僧院の一角も“ホスピス”と呼ばれていました。そこに泊まった人たちは、修道女や修道士の温かい介護や看護により、再び元気を取り戻し、病気を癒され、力づけられた後、それぞれの旅路に向かって送り出されたのです。
アメリカに約1500ヶ所、イギリスに約200ヶ所のホスピスがありますが、2006年6月の調査によると、日本には、151ヶ所しかありません。(※1)
私は昭和40年に長崎大学医学部を卒業し、同大学付属病院で脳神経外科学を専攻し、平成4年に埼玉に戻ってきました。
26年前の昭和56年1月12日の夜、長崎バプテスト教会 松藤守男牧師のホームドクターから往診依頼を受けました。松藤牧師宅に駆けつけ、腹部を診察した所、腹部に腫瘤が触れました。翌日、長崎大学医学部付属病院に入院し、精査の結果、肝臓ガンが見つかりました。しかもかなり進んでおり、手術は不可能で、余命は6ヶ月である事が判明致しました。
松藤守男・敏子夫妻の著書(※2)には、松藤牧師自身が記した闘病記や夫人の看病記に「本当のホスピスはどうあるべきか?」がリアルに描写されています。その中の「病状経過」を私が記しましたが「一刻でも早く、本人にありのままを伝えるべきである」との考えは、夫人も同感で、夫人から本人に真相が告知されました。
その日から松藤牧師の闘病と夫人を中心とするご家族による「ターミナルケア」が始まりました。松藤牧師の肝臓ガンは、発見されたときには手遅れで手術が不可能だったので、自宅で抗がん剤の点滴や免疫治療を実施したのです。夫人や子どものあたたかい見守りと介護があり、励ましと慰めが絶えず与えられていました。それは正に「在宅ホスピス」の理想的な姿でした。
実は当時、私の家内が妊娠して長崎大学付属病院に入院していました。私が松藤牧師をお見舞いした際に、自分の身体の事よりも私の家内の身を案じて『奥さんはどうですか?』と尋ねられたので「今の所、心配は無いようです。」と答えますと、『それは良かった。良かった。私は奥さんのために毎日祈っていたのですよ。』と言いながら、はらはらと涙をこぼしました。自分の病よりも周りの者に対するこうした思いやりに胸が締め付けられる思いがしました。また、死に対して毅然とした態度に頭が下がりました。
松藤牧師は約6ヵ月後、この世を去りましたが、松藤牧師のガンとの闘いにおける真剣な姿が周りに大きな感化を与えたのでした。今もありありと思い浮かべる事が出来ます。
(※1)『いま患者が求めるホスピス緩和ケア』(野沢一馬著、ばる出版)
(※2)『死に至るまで―肝臓ガンの宣告を受けた牧師と夫人の手記』(1982年、ヨルダン社)
- 病院検索[地域検索]




